▼的形村と大塩町が姫路市に合併した経緯▼


 的形村、大塩町・北浜村は「山ノ内3ヶ町村」と呼ばれていて、昭和30年まとまって高砂市に合併するよう申し入れた。だが、大塩町の合併は認めていた高砂市は、的形村のことを「こんな貧乏村をもらっても何の得にもならん」とうそぶいて消極的な態度をとり、申し入れを放置された。

 高砂市との合併が行き詰ったので、代案として3ヶ町村で合併する方向で協議が進められたが、思うように進まなかった。

 そこで、的形村の当局者は打開策として、ダメもとで姫路市に合併の話しをもって行って見ようと言うことになり、当時の石見元秀市長に会いに行った。果たして的形村と言う貧乏村を相手にしてくれるだろうかと、おずおずと面会したところ石見市長は的形村の意向を聞くや即座に「君たちが姫路に来てくれるなら大歓迎だよ」と合併に賛成してくれた。そして的形村は姫路市との合併に向かって一気に駆け出すことになる。

 翌日の新聞にも大きく報道された。ところが、この話が気にいらないのが県の方である。3ヶ町村まとまって高砂市へとの指導方針を真っ向から否定したわけで「ああそうですか」と簡単には承諾する訳けに行かず、高砂市の方も自らの対応がまずかったと思ったのか、打って変わって「高砂市に合併を」と言い出すが、こちらが申し入れたときに冷たいあしらいをしておきながら「何を今更」と的形村は一丸となって県への陳情を繰り返し、遂に県も根負けして姫路市と合併することを了承した。

 村民の悲願であった上水道は合併前の昭和32年11月に姫路市から給水された。この成り行きを見た大塩町民の一部から「的形が姫路市と合併できるのなら大塩も姫路市と合併しよう」と言う声が出て、高砂市に合併がほぼ決まっていた大塩も姫路市への合併を決議した。これに対して、高砂市の市長が激怒し、水道局の職員に命じて大塩町への給水管を破壊し水道が7時間ストップした。

 警察が捜査したが、原因が特定されずトラックの通行時に水道を破損したと結論付けた。

 しかし、昭和37年7月にことの経緯が露見し、当時の市長は辞職した。