◆的形の泊山・礒地区歴史探訪◆

 

 

 

①貧乏岩

 

 昔、的形全域が入江で海面がもっと高く、出入りする船は必ずここを通り、この海底に突き出た岩で船を壊し、貧乏したと言い伝えれている岩です。

 

 

 

 

 

 

②旗揚げ場

 

 塩田があった頃、旗が揚がると”浜を待つ”(作業開始)合図です。どのような旗が揚がっていたかは不明であすが、今でも旗の棒を取り付けていた石柱が残っています。

 

 

 

③石原家の墓

 

 的形町で一番古い墓です。時代は不明だが、大きな四角い墓があります。

 

 

④相撲取墓

 

 「小西川墓」「鐵壁墓」「伊勢海墓」の相撲取墓がある。今の中村家の先祖が幕末に「鐵壁」という相撲取を何時もボディーガードに連れて回った。現在と違って宿に泊まっていても無事に過ごせるとは限らないので「鐵壁」に寝ずの番をさせたという。

 

 

⑤オクムラボート

 

 平成25年3月16日より、姫路城の内堀に和船の運航が始まった。姫路城の堀に浮かんでいる和船は、ここオクムラボートで造船したものです。

 

 

 

 

⑥中村家の酒蔵

 

 崩れかけた蔵がある。中村家の酒蔵で、先祖が幕末に活躍したころ、酒屋を始めようとして蔵を建てたが、水が酒に向かないので止めた。今でもこの蔵を酒蔵と呼んでいます。

 

 

 

⑦イチョウの保存樹

 

 大イチョウです。姫路市自然保護条例により指定された保存樹で、指定番号63号に昭和43年2月10日に指定された。このイチョウはオスの樹であり、空頼坊の墓にも同じ時代のメスのイチョウの樹があります。

 

 

 

⑧空頼坊の墓

 

 寛永時代に没した空頼上人は、当時の日本山法師三人の一人と言われていました。その上人のお墓は、古い銀杏の木の下に最近、建て直した建物の中に1.8mの五輪塔が一基あります。

 

 

 

⑨海獄寺の井戸

 

 僧行基によって8世紀に造られたもので、七堂伽藍がこの山全体にあったころで、この井戸は庫裏(台所)があった場所です。

 山の中腹に位置していますが、水不足の時も枯れない井戸と言われています。

 

 

 

⑩礒山頂上

 

 頂上から見る景色は、むかし塩田があった跡地にソーラーパネルが並び、正面に日笠山、石の宝殿、遠くに六甲山系が見える。

 

 

⑪おんばかふところ

 

 梅山古墳のこと。武烈帝(6世紀)のころ、「火の雨が降る」との噂が流れたときに造られたものと言われています。

 約1500年前の古墳です。

 

 

 

⑫ハングライダー基地

 

 見晴らしの良い場所で、ハングライダーの離陸場所となっています。東浜(東ばば)、マリンベルトや遊漁センター、遠くに家島群島が見えます。

 

 

 

⑬行基が鼻

 

 磯山の南端で海岸に山が突き出ています。僧行基が自ら地蔵を刻んだときに、石材をここから出したと言われています。

 

 

⑭住吉神社

 

 天永3年6月に建立。山の中腹にあったものを大正12年に今の場所に建て直し、そして最近は平成2年に建て直しました。

 右に「秋葉神」「金毘羅」、南側に「竜神宮」「大海神」がお祀りされています。住吉神社は海に関する神様が整っています。

  

 

    ⑮海獄寺・臨済宗(禅宗)

  

    735年行基菩薩の開基と伝えられています。長い階段と鐘楼

   門がその階段を被っています。北向きの山門で二階建ての鐘楼は

   珍しい。焼失後は一時廃寺に至ったが無乃禅師が再建しました。

 

 

⑯田ん中の井戸

 

 昔、海であった所に家が建ちましたが、井戸水は塩辛い水しか出なかったのです。良い水の出る所へ汲みに行きました。

 この井戸は海に近い井戸ですが、美味しい水が出ていたので仮屋地区の人や的形の駅前からも汲みに来ていました。

⑰荒勝文策の家の跡地

  

 荒勝先生は、明治23年(1890年)生まれで死没(1973年)。京都大学名誉教授で定年を迎えられました。日本物理学者で専門は原子核物理学です。1941年5月日本海軍より原子爆弾の開発を依頼されて、アメリカの原爆開発の開始と比べても決して遅れたものでなかった。広島に原爆が投下された後の8月10日に広島に行き、土壌を持ち帰り調べて、8月15日の被害は原子爆弾によるもであると海軍に報告をしました。